勉強量を増やすための原動力を探す旅

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平島 啓介

代表取締役社長株式会社 歩成社
自学自習だけで偏差値32→78を達成し、過去問研究家として1000人以上を指導。E判定から逆転合格で難関国立・医学部へ750人以上の受験生を送り出している。独自の過去問研究法・学習理論を元に、関わった全ての受験生の偏差値を平均で15以上upさせることに貢献した。平島塾では、年間受講者の第一志望合格率が4年連続100%という驚異の実績を持つ。

こんにちは。

啓介です。

勉強への
モチベーションが湧かない人のために
今回は僕の成功ストーリー
を小説っぽく書いてみた。

 

僕はありがたいことに最近、
行動力があるとか
凄いとか

言っていただける
機会が増えた。

 

本当にありがたい。

受験生の時は
物理の偏差値をたった2週間で
偏差値32→78という
急速進化を遂げた。

大学に入って
19歳の時に起業をし、
起業一年目で
『偏差値29からの東大合格』
著者:杉山 奈津子氏と講演会で共演。

 

 

そして、
21歳の時に初めて
月収50万円を突破した。

常に圧倒的な行動力と
スピードで駆け抜けてきた。

 

あなたには行動する理由や
原動力はあるだろうか。

・行動できない
・やる気が起きない
・モチベーションが湧かない

それはあなたが自分で
設定している原動力が
間違っているからなのかもしれない。

 

打倒天才
を掲げた男の過去の闇と
勝利までのストーリーから
今日はあなたの原動力を見つけ出す。

 

平島の原動力の源泉となったのは
他でもない大切な人の死だった。

 

今日はつらつらと
現在の平島啓介が誕生するに至った
ストーリーをお話しすることによって

 

あなたの大切な人への
忘れかけた想いのようなものを
思い出してもらい、

 

何かの原動力にしてもらえれば
良いなと思う。

 

原動力のない人生

夢なんか嫌いだった

 

結構知ってる人が多いとは
思うが、僕は高校1年生のとき
大好きだった父親を亡くしている。

 

 

お父さんはいつも
「啓介には夢を追って欲しい」
と僕に熱く語っていた。

 

そんな父の言葉を
僕はいつも否定していた。

 

 

なぜなら、
多くの時間を堅実志向の母と
過ごしていたからだ。

 

一緒に暮らしている母は
父のチャレンジャー精神が
家庭を離れ離れにしたと
思っているため、

 

僕と姉には
安定した堅実な生活を
強烈に要求した。

 

だから、
次第に僕自身も夢を諦め、
堅実な道を歩もうとしていた。

 

決して、
母のせいで諦めたわけではない。

 

そういう考え方になりやすい
環境にいただけだ。

 

僕自身が母の考えに
当時賛同していたというのもある。

母は人として強かったから、
そんな強さが欲しかったのだと思う。

 

しかし同時に、
夢を追えという父の言葉は
胸に深く刺さっていた。

 

僕も夢を追うことを抑え込んでいたので
聞いていて辛かったんだと思う。

「俺にはそんなの無理だよ!!」

と父の言葉を煙たがっていた。

 

その度に
父は寂しそうな顔をしていたことを
今でも覚えている。

 

離婚と借金

 

なんでお父さんと一緒に
暮らしてないの?

という疑問があると思うので
答えておくと、
僕が物心ついた頃には両親は離婚していた。

 

原因は父の職業(証券会社)による借金問題。

 

仕事で多額の負債を何度も背負ってしまい、
母が苦渋の決断で、
僕たちを借金回収者から守るために
籍を抜いた。

 

だから、
離婚はしたものの二人は愛し合っていた。

 

だから僕たち家族は月一回会っていたし、
会えればそれだけで幸せだった。

 

毎月父に会うのが家族の楽しみでもあった。

 

もちろん仕事が忙しくて、
会えない月もあり、
そんな時はとても寂しかったりもした。

 

 

会えない月が多い時は
よく父に電話をかけた。

 

「お父さん元気!?
 お仕事頑張ってね!!」

 

これを言いたいがために
電話をする。

 

声が聞ければなんでも良かったんだと思う。

 

そんな父も酔ってる時は
やたら電話をかけてきたり。。。笑

 

父の背中

 

僕たち家族は
お父さんに支えられて生きていた。

 

父は借金を返すために
死ぬほど働いていた。

 

僕たち家族と
もう一度暮らすことを夢見て。

 

そして、
ついにその時はきた。

 

父は借金を返して、
僕が小学5年生の時に
一軒家を僕たちにプレゼントし、
僕が中1になると同時に
そこで一緒に暮らすようになった。

 

「さすが父さん!!」

この時が僕の心の声だった。
正直この頃からだ。

父が我が家のヒーローのような存在に
見え始めたのは。

 

とても幸せだった。

毎日目覚めれば
父が家にいる。

こんなに幸せなことはなかった。

 

しかし、
幸せな時間はあっという間だった。

 

父の転勤が決まり、
また家族は離れ離れになった。

 

父は転勤後より一層忙しくなり、
会える時間が3ヶ月に一回が当たり前に
なってしまった。

 

それでも
僕の高校の入学式や、
姉の大学の入学式などの
イベントには仕事を休んででもきてくれた。

 

父は僕や姉の学校入学を
毎回自分のことのように喜び、
職場でも毎日のように
僕たちのことを自慢していたらしい。

 

最後の思い出

 

僕が高校へ入ってから
ある程度落ち着いた頃合い、
祖父母も含め、

みんなで父に会いに行こう!!

という企画が決定し、

 

金沢へみんなで遊びに行った。

 

久しぶりの父との
時間は幸福の極みだった。

 

高校1年生なのに
父と二人でお風呂に入ったり
一緒の布団で寝たりした。

 

これはもう言い表せないくらいの
楽しいひとときだった。

 

そんな楽しい時間は気付いたら、
瞬きのごとく終わっていた。

 

「また遊ぼうね!!」

 

そうやって
僕は父とハグをして、
父の匂いを噛み締め、
色白で大きな父の手と固く握手を交わして、
金沢旅行は終わりを迎えた。

 

父がたまに我が家へ遊びに来た時や
どこか旅行へ行った時、
いつもしていたのがハグと握手。

 

これをしないでは
お別れはできなかったし、
寂しくて泣いてしまうのを
我慢するための
「おまじない」のようなものだった。

 

夢を追う決意

父の死

 

そんな金沢旅行から
数ヶ月後に知らせはきた。

 

その日は
僕の部活が休みで
家で一日ゴロゴロしていた。

一本の電話が掛かって来た。

 

ガラケーのディスプレイには
祖母の名前が刻まれていた。

 

あまり祖母から
電話がかかってくることはないので
なんだろうと思って電話に出てみた。

祖母の声は暗く重かった。

 

「どうしたの?」

僕は咄嗟に聞いた。

 

「お父さんが亡くなりました。」

 

「え!?どういうこと?
 誰のお父さん!?」

 

「あなたのお父さんです。」

 

「ん!?誰のお父さんって聞いてるんだけど?
 何言ってんの?」

 

「菅原明善さんが亡くなりました。」

 

「嘘でしょ。。。。」

父の名前だった。

 

「本当です。明日金沢へ
 みんなで飛行機で向かいます。
 信じられないとは思うけど、
 準備をしておいてください。」

 

 

僕はそのまま電話を切り、
しばらく放心状態に陥った。

 

状況が全く掴めなかった。

 

ちょっと前に金沢では
一緒にお風呂に入って
一緒の布団で寝たじゃないか。

 

元気だったじゃないか!!

一緒にまた遊ぼうって言ったじゃないか!!!!

どういうことだよ!!

嘘だ!!!!!!

 

半信半疑で
父の死を受け止められなかったものの

 

昔のアルバムを取り出し、
父との思い出の写真を漁っては
それを見ながら号泣した。

 

この涙は
いつ枯れるのだろうかと
思いながら

 

嗚咽をするほどに泣いた。

出ないことは分かっていながら
現実を認めたくないあまりに
父に電話をかけたりもした。

もちろん出るはずがなかった。

「お父さん。。。。
 どこにいるの。。。?」

そんなメッセージを
泣きながら留守電話を
残したりもした。

でも、
現実はあまりも残酷だったんだ。

 

二度目の金沢

次の日、
早朝から飛行機で金沢へ向かった。

父の遺体確認のためだ。

金沢へ着くなり、
警察署へ行った。

 

地下の遺体安置室へ案内された。

 

救急車の荷台に
白い布が掛かった人が
横たわっていた。

 

まるで刑事ドラマのように
警察官がその布を取り去り、
横たわっている人物の顔があらわになった。

 

紛れもない父だった。

その瞬間、
前夜枯らしたはずの涙が
防波堤を突破して溢れ出して来た。

 

ハンカチなんかじゃ
抑えきれないくらい
涙が止まらなかった。

 

視界は歪み、
前が見えなくなった。

姉の泣き声だけが
ただただ聞こえるばかりだった。

 

警察官が触っても良いと
許可をくれた。

 

真っ先に僕は
あの大きな手を握りしめた。

 

冷たかった。

 

凍えるほどに
氷のような冷たさだった。

 

あんなに温かったのに。。。
確かにその手は父そのものだった。

原因は過労による低体温症。
働き過ぎが原因だった。

 

目でも感触でも
父の死を悟ったとき
僕の中で何かが壊れる音がした。

 

心から愛する人を亡くした
初めての瞬間だった。

 

それから毎晩泣いた。
写真を見ては思い出に浸り、

 

あの時僕がもっと優秀だったら。。。

もっと頭が良くて
公立高校に受かっていたら。。。

 

そしたら学費で負担をかけずに
お父さんが無理することはなかったのに。。。

 

そんなどうしようもないことを
嘆きながら毎日が過ぎて行った。

 

もうあのかっこいい背中を見れない。

もう大好きなハグはできない。

もうあの大きくて温かい手と
握手もできない。

 

 

また遊ぼうねって約束したのに!!

なんで死んじゃうんだよ!!!

約束と違うじゃないか!!!

 

 

毎日一人家にいる時
泣きわめき散らした。

 

父と母は僕たちが
成人になったら
籍を戻すつもりだったようだ。

 

 

父はずっと母に再婚を
申し込んでいたようだが、
母は子供たちが一人前になるまでは
自分が幸せになることは考えなかったようだ。

 

 

全ては僕たち子供のために。

 

今年の抱負

 

父の職場では
今年の抱負を書くのが
毎年の行事だったみたいで、
父の抱負を死後見ることができた。

 

そこには

もっと家族と遊びたい。

家族と一緒に暮らしたい。

家族と旅行に行きたい。

家族のために頑張る。

家族と。。。。。

僕たちのことばかりが
書いてあった。

 

 

愛されていた。

 

確かに愛されていた。

 

深く深く。

 

 

それを改めて実感した。

 

 

僕たちをいつでも見守ってくれていた。
体を張って守ってくれていた。

 

そう感じた。

 

夢を追う決意

父は45歳で亡くなった。
最後までかっこよく、
最後まで愛しい存在だった。

いつしか彼は僕にとって
憧れの存在になっていた。

追いかけたい存在として
僕の中のヒーローになっていた。

 

 

彼に笑われない背中を創る。
彼が追えと言った夢を追う決意をした。

 

どんなことがあっても
諦めずに立ち向かうと心に決めた。

 

 

今、
僕はあなたにとって
そんな姿を魅せられているだろうか。

 

まだまだ未熟で
できないことだらけで
諦めてしまいそうになることが
たくさんある。

 

それでも
父に誓ったことだけは
貫くために僕は今も活動している。

 

 

あの日

「勝つまでやる」

そう誓った日から
行動を絶やしたことはない。

まとめ

 

僕の原動力は
「父の死」だった。

 

あなたの原動力はどこにあるだろうか。

 

愛するものを守ろうとする力は
時として、とてつもない強さを発揮する。

ちっぽけなことでも良い。

本当の原動力を見つけよう。

 

あなたはあなたの思う通りの
人生を歩んで良いんだよ。

辛い気持ちはバネになる
苦しみは力に変わる。

 

僕らは不幸を言い訳にして
何もしなくなる。

 

でも何もしなければ
状況は動かないどころか
悪化することを
僕は身をもって体験した。

 

 

 

悲しみに暮れて
人を困らせたことだってある。

 

それでも諦めずに
立ち向かったら少し前に進めた。

 

そして、ちょっとずつでも前進すれば、
壊せない壁はないことを知った。

 

だから、
僕が父から教わった言葉を
あなたに最後に伝えたい。

 

夢を追って欲しい。

 

 

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